今日、ニュースを聴いて、僕も小学校の頃に担任から虐められていたということを思い出した。小学2年の時。数ヶ月に渡って。
きっかけは、一緒に遊びに行った友達の妹が、僕達が遊びに行っている間に家から外出して交通事故にあったこと。何故、それで僕が責められなければならなかったのか、今でも分からない。
問題の答えが分からないから手を挙げていないのに、わざと当ててきて、答えられないことをネチネチと責める。夏休みの課題でオタマジャクシを採取して学校に持っていくと、「なぜ、こんな不気味なものを学校に持ってくるのか」と激昂する。「お前みたいな性格や生き方は、一生、治らない」みたいなことを、来る日も来る日も言われる。クラスメートたちの前で。
結局、不登校になったり自暴自棄になったりする前に、親から「そんな学校には行かなくていい」と言われ、ずっと学校を休んで家で勉強をしていた(学校を頼らずに何でも独学するという習慣は、この頃に身についたのかも)。あの時の僕の父親の判断は、GJ。母親は泣いてばかりで、僕が悪いことをしている感じがして、僕にとっては、それも辛かった。
明治大学応援部出身のバンカラの父親が教師の自宅に行って直訴して以来、虐めは無くなりました(そういう奴に限って力に弱い)。ただ、学校に復帰してから3月までをどうやって過ごしたのかは、殆ど覚えていない(不都合な経験は意識下に閉じ込められるというフロイトの理論そのものか)。
日教組の活動に熱中し、職員室の別の教師と諍いを起こす等、今、思えば、典型的なパーソナリティ障害。
唯一の救いは、同じ学年の別のクラスの担任の先生。校庭でぼんやりしていると、「これ、ちょっと手伝ってくれる」と声をかけて下さって、花壇に花を植える作業に参加させてくれた。クラスメートも教師達も誰も僕に声をかけなかった、あの時に。「ありがとう。とっても助かった」と。たった5分か10分くらいの出来事だったが、まるでスピルバーグの映像の様に、小学2年生のその瞬間だけが総天然色で思い出に残っている。
「神に愛されしものは夭逝する」とはよく言ったもので、その先生は、次の年くらいに癌で鬼籍に入ってしまった。毎週末、生徒達を自宅に招いてカレー・パーティーを開いていた先生。皆に慕われていた。「世界には『救い』というものが存在する」という、幻想かもしれないけれど生きていく為には大事な糧を、先生は下さった。
あの世に行ったら、綺麗な花を育てて、先生を見つけて、その花を渡してお礼をしたい。
そして、僕を虐めていた、あのクソババアを見つけたら、頭を思いっきりひっぱたいてやりたい(嗚呼、地獄に落ちる予感(汗))。